私がアドバイザーを目指したきっかけ
結局、長崎で3週間入院し、K260の日に退院。
2018年2月27日、52歳の誕生日直前に真里さんからマヤ暦を学び出しました。
香川に戻ってから、久しぶりに訪れたマクロビカフェのオーナーK91佐藤真理子さんに マヤ暦の話をさせていただいたところ
「是非ここでマヤ暦お茶会をやって欲しい!」
と驚きのご依頼が。
その2ヶ月後、初めて訪れたサロンでもマヤ暦の話になり、 K139リンパ整体師さんから
「是非、 資格を取ってください」
と ガイドキンを持つお二人から背中を押され、アドバイザーを目指すことになりました。
何でもやりだすと一途に一生懸命のめり込む私をみてK249の娘はとても冷ややかでしたが、 長崎のK82本多洋子シニアにアドバンス講座を受けさせていただく中で、大きな変化が訪れました。
娘の海外行きを心配した私への一言
心の病を何度も経験してきた娘が、海外行きを望んでいる事を凄く心配する私に対し…
宇宙に繋がっていたら、世界中どこにいても大丈夫!
娘さんにもマヤ暦を学ばせてください!
と洋子シニアの力強い言葉。
洋子シニアの愛あるサポートのお陰で2019年1月、娘と共にアドバイザーになり、 K91の方のマクロビカフェで、親子でマヤ暦お茶会を主に活動し始めました。
マヤ暦に出逢うまでは、赤ちゃんの頃から数年苦しんだ筋肉の病気・ 中学校時代の不登校・社会に出てからの心の病等、様々な体験をしてきた娘のことを「心身共にか弱い子だ」と思い込み 、「これ以上、傷つかないよう守らねば」と精一杯子育てしてきたつもりでした。
ところがマヤ暦に出逢ったことで、娘がメチャメチャ魂の大きい人間である事を思い知り、 やっと手放す覚悟ができたのです。
キンナンバーを知ることの意味
昨年春、コロナまっただ中、娘はルクセンブルクに旅立ち、26歳で国際結婚しました。
私と主人が結婚したのも26歳。
しかも主人のキンナンバーの日。
幼少期から父が母に暴力をするという環境で育ち、優等生を演じることで 自分の身を守ってきた私にとっては、結婚が「人生の再出発」そのものでした。
私をマヤ暦に導いてくれたK91は亡き父のキンナンバーでもあります。
「手を出す男性は最低だ」と思いながらも、晩年は誰よりも私の理解者であり、 まさに私のガイドだったな、とキンナンバーを知ることで、感謝が溢れました。
私のガイドキンを持つK91真理子さんの言葉を通して、今でも父の存在を感じることがあります。
キンナンバーを知ることで、一人一人の違いを知り 立ち位置を知ることで、相手を認められるようになる。
国際結婚した娘の夫はイタリア人、K202。
主人のガイドキンがあり、私が彼のガイドキンを持っています。 言
葉が通じなくてもキンナンバーを通して、相手を知ることができると実感しています。
どこにいても宇宙につながっていたら大丈夫!
洋子シニアが言われていた通り
「宇宙に繋がっていたら、世界中どこにいても大丈夫!」
まさに人生最大のツールに出逢わせていただいた事に感謝しかありません。
2020年3月、娘のキンナンバーの日に新しいアドバイザーが誕生。
同じ年の10月、香川で初めて試験を開催していただき、 K91真理子さんを含む5名のアドバイザーが誕生。
今、白い時代の13年目、2021年9月には5名のメンバーさんがアドバイザー試験に挑みます。
52歳「人生の本道」直前にマヤを学び出してから今日に至るまで、 イメージが現実化しやすいキンナンバーK23のエネルギーに乗って、 一人一人とのご縁を大切に歩み続けてまいりました。
最後に
今回掲載依頼のお話をいただいたのも、 K196黄色い戦士の音1の日!
まさにサプライズチャレンジギフトをいただいた気分です。
マヤ暦に出逢うまでの白い時代の数年間「誰かの役に立つ何かをしたい」と思いながらも、 真っ暗闇を彷徨っていた青い夜の私が【一家に一人マヤ暦を】と夢を語り続けながら、 今では沢山の素敵な仲間に囲まれて、とても充実したhappyな日々を送れています。
マヤ暦を通してご縁をいただいた皆様全てに、心から感謝致します。