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波瀾万丈な人生でも、マヤ暦を学び私の人生オールオッケーと言える自信が持てました!
「これまでにたくさんの痛みを味わったからこそ、伝えられることがある」

長年の葛藤で、パニックを起こし、自分がどうしたら良いのかさえわからなくなったという理由を赤裸々にお話ししてくださいました。非行、暴力、逮捕、鑑別所・・・と頭を悩ませていた息子さんとの関わり方、その変化は物凄いものでした。
 
子供との信頼関係が築けず悩んでいる親御様、子供の非行に悩む親御様、誰かを許せずにいる方の希望となるストーリーをぜひご覧ください。
 
 
―シンクロニシティ研究会の講座に初めて参加された時、どんなことで悩んでいましたか?   

自分との葛藤もありましたが、24年間、母子家庭で育てた息子と⻑年の葛藤の末、パニック(過呼吸)を起こし入院したりしていました。 自分がどうしたら良いのかさえわからなくなっていました。 子供のことで色んなことを経験したにも関わらず、変われない自分を許すことができず、息子が卒業した北海道の北星余市高校の時のママ友に相談してところ 「お姉さんがマヤ暦してるので見てもらいな」 と言ってもらい電話でセッションをしてもらいました。「大丈夫だよ」 と言ってもらい少し安心しました。 「マヤを知ると人生楽になるよ」 と言われ、神戶まで講座に北海道から来てくださることになり 半信半疑で講座にスタートアップ、ベーシック講座を連続して受講しました。      

―自分との葛藤、息子さんとの葛藤と2つ抱えられていたんですね。  

そうなんです。私は普通の家庭で育ったんですけども、普通っていうことをずっと両親から言われてて、その普通にハマるっていうのがすごく嫌な高校3年生だったんです。どうしても、この縛られすぎた世界にいたりとか、夢なんて持たなくていいっていう親の考えとか、何をしたらいいかわからないっていうことで、19歳で家を飛び出しました。で、20歳で、全くそれまで出会わなかったような男・・・その時流行ってた極道の女たちみたいな、それの下っ端みたいな人と付き合いたくて、1度結婚して、20歳で子供を産んだんです。そしたら、夫の暴力がひどくて、四国にいってたんですけどもね、まったく今まで育った世界と違うお家やったんですけど、ここのお父さんもお母さんに暴力を振るうような。同居してたんですけど。それで体を壊して、子供を連れて逃げるようにして神戸に帰ってきたんです。それが20歳の時だったんですけど、そこからうちの父が、この子はうちの長男ではないっていうことで、向こうの家に連れて行ってしまったんです。私が親の言うこと聞かなかったから、こういう風になったんやって思って、抵抗もできずに、それを受け入れたんですけど、そこから心の中に穴があいたみたいになってしまって・・・。

 ―そうだったんですね。

そこから少し経って25歳で2回目の結婚をしました。で、26歳で今育ててる息子を産んだんです。だけど、やっぱり男を見る目がなかったのか息子が6ヶ月の時にまた離婚をして、若かったから、1人でも何とかやっていけるわ!と思って、子供を連れて、仕事をしだして、ちょうど黄色の13年目に、今まで会ったことのない、出会ったことのない素敵な女性に出会って、その女性、その先輩に仕事を教えてもらいながら、子供が小学校に上がるまでに経営者として独立できるように指導してもらって、その仕事を始めることになりました。夢を持つっていうことの大切さっていうことを、その時に生まれて初めて知ったんですけど、前だけを向いて、慣れない仕事をはじめて5年で代理店になりました。それが赤の5年です。仕事も順調で自分は頑張ってたつもりなんですけども、子供を見てたつもりやったけど、見れてなかった・・・。  

―見てたつもりで見れてなかった??  

息子はちゃんと、無遅刻無欠席で、中学3年生の途中まで行っててね、部活も行って、本当に活発で明るくて、そういう子だったんですけども、野球を引退した後、みるみる非行に走りました。本当に眉毛がなくなって、言葉遣いとか顔は変わって、勢いがすごかったんですよ。それが息子の青の2年目。私の白の1年目です。その非行から1月で逮捕されました。3週間留置所にいて、その後、少年鑑別所にいったんですけど、その時に国選弁護士っていう人が付いてくれたんですけど、お母さん何もわかってないって、子供のこと何もわかってないよ言われて、もっと勉強したらどうですかって言われて、いろんな子育てとか非行とか、そういう風な解決法っていうか、すぐ解決したかったので、そんな本を読むようになりました。やっぱり本当に子供しか見えないっていうのは、その最初に産んだ子がいなくなったので、もうね、その今の息子にグーっと肩入れしてしまうというか。本当は心をかけないといけない時にかけずに、思春期になってから気になりだしたから、余計に相手としたらうざかったんかな?と今となっては思います。  

―そんな事があったんですね。

中学3年生の時に、毎日学校から迎えに来てくださいっていう電話とか、はたまた、ずっと息子はじっとしてられないから、特別指導室に4時間、5時間って入れられて、最後はキレて暴れてっていうので、中学校からも警察に被害届を出されたりで傷つくことが息子にはあったんですよ。どうしたら私も、この子のことを救ってやれるのかなっていう風には思ったんですけど、夜は帰ってこないし、どんどん、どんどん余計逮捕されて、審判でね、家庭、保護観察がついて帰ってきたんですけど、余計に悪くなっていったんです。もう暴走するとかそういうのではなくって、家では暴れるし、帰ってこない。私の顔見たら殴るぞ。っていう日々が続いて、なんとかかんとか地元の高校に入学して・・・。  

―そうなんですね、色々ありましたね。  

最初は公立の高校行けるくらいの成績があったんやけども、素行が悪すぎるとかで学校見学もさせてもらえなくて・・・。結局、普通の私学の高校に入ったんですけど、やっぱり周りもやめて行くし、自分も朝起きないし、叩いて起こして車に乗してって、必死で連れて行ったんですけど、行かなくって、頼むから辞めさせてくれっていうことで、入学金を半分返すなら辞めさすって言って、今まで息子にこれだけお金をかけてきたっていうことを、わかってほしいし、やっぱり母子家庭やからなめられたくないって、そういう思いで。公文とか英会話とか習い事をさせてきたんですけど、いろんなことをしてたけども、それが良かったのかどうかはわかんないね。

―学校を辞めてからはどうなったんですか?

学校を辞めてからは建設現場って言うかな?土間屋っていうコンクリートを打つ仕事に半年間行きだして、あまりにも過酷な仕事なので、半年後に辞めて1年間ふらふらしてました。そしてまた事件起こしたんです。それでやっぱりうちの子は保護観察がついてたので、すぐ少年の裁判所に呼ばれて、次はもう・・・すぐもうこのまま鑑別所いこかって。少年院ももう決まりやって。そんな危ない奴を世間に出しとかれへんって言われて、審判の日まで日にちがあったので、そこで北海道の北星余市高校っていうところを見つけたんです。北海道の北星余市高校っていうのは、ドラマにも何度もなってるヤンキー母校へ帰るっていうドラマにもなったんですけどね、その相談会が全国で色々あって、神戸もあったんですよ。私の中では捨てたって思われるんじゃないかとか。この子のためやけども、すごく身を切られるような思いで、なんかちょっと半分頭がおかしくなってたような感じやったんですよ。見えないものが見えたり、自分からいろんな虫みたいな出てるような気がしたりとか。非行に走り出してから本当眠れない日々がずっと続いてたので、探したりね。色んな事をしてね。で、ずっと泣いてました。やっぱり。  

―そうなんですね。色々な想いが出てきますよね。  

中3の野球を辞めてからずっと・・・。すごい長かった。そこで2年経って、結局その後の審判で、北星余市に行くプラス保護観察をついてっていうことで、少年院に行かなくて済んだんですよ。すごく迷ったんですけど、そこの先生に、卒業式の時に、予約面接受けてください。その日にしましょうお母さんって、背中押してもらって、その卒業式を見がてら面接に来ました。もうその時もなんで人の卒業式なんか知らんやつの見に行かなあかんねんとかね。ホテルで暴れて暴れてね。頼むから一緒に行こうって言って、連れて行ったんですけど、何か感じるものがあったみたいです。本人も。初めて、俺どないしたらええねんって言うから、もう私から離れて、離れよって。お互いの場所で頑張ろうって言って、そういうふうに決めてその入学を決めました。でもやっぱり行ったら行ったでね、殺すぞ!っていう電話が毎週あってね。  

―なるほど。きっと息子さんにも葛藤があったんですよね。  

当たりどころがないからね。「おまえ殺しに行くからなー」って言うから、「もう来いや」とかね。「あんたが来たらいいんちゃう?お好きにどうぞ。」みたいな感じで言ってたんですけど、ちょっと距離が出来たところでほっとしてたんです。もうその時は、本当にがりがり。42㎏ぐらいまで痩せてしまって・・・。

−そこからどうなったんですか?  

そこからですね、やっぱり十何万円かかるんですよその学校ね。下宿に入って、寮母さんに払うんですけど、いろんな下宿があってそこからね、たまたま良かったのか、それも運ばれてきてるのか、そういう良い下宿にあたって。何度か1年生の時は暴言で謹慎になってね。

−暴言で謹慎・・・?  

私は北海道に呼び出されたりとか、そういうことがあって、子供が家に帰って自宅謹慎の時もあれば、業者に預けられて牛舎の仕事を手伝うっていう謹慎の館って入れられたりしてたんだけどそのときに、謹慎の館のおっちゃんに、私言われたのが、お母さん早く、早く!いうて育てたんちゃうか?って言われて。そこでハッとして。確かに・・・って。1歳で保育所に預けてたから、早くしないとママが遅れるとか、早く行こうとかで自分勝手な子育てをしてたん違うかなって。私のペースで、子育てしたんかなーって思います。でも留置所にいる時、初めてくれた手紙には、最高のお母さんってかいてたんやけども、それはその手紙やって、本当はそういう風には思ってなかったみたいで、いろんなことが息子はちっちゃい頃から葛藤があったのかなと思います。

−すごい、気づきですね。そこからどうなったんですか?  

北海道で、謹慎がありながら、先輩と話しするようになって、先輩に可愛がってもらって。息子は2年遅れの18歳で入学したので、本人は最初は自分は2歳上とかね、色んな事をこだわり続けて、カッコつけてた部分があったと思うんですけど、先輩の姿を見て話してるうちに、生徒会の会長になると。2年生になった時に決めたみたいで生徒会長になってから2か月後くらいに北星余市高校存続の危機って言うね。  

−先輩との出会いで気持ちや行動が変わったんですね!  

北星学園余市高校というのは、色んなグループ校なんですけど、やっぱり少子化とか通信制とかができてきて、北海道までっていうこととか、いろんなことが絡み合って、本当に赤字経営が10年ぐらい続いてたみたいで、それで、次の年90人の新入生が集まらなければっていう、廃校に持っていくっていう話が、理事会で出たんです。そんな時に、息子は生徒会長として何かをやらないとっていうので、息子はずっと、ずっとというか、北星に入ってからラップをやったりとかしていて、そのラップと自分たちで作った映像を組み合わせて、色んなyoutubeに出して・・・  

−すごい!責任感と行動力が素晴らしいですね!  

校長先生にもいろんな力がある子がここの学校にいるって言う話とかいろんなことを聞いて、そのことがテレビで放映されたりとか、本当に北海道では一週間に一回息子のビアンが出てるっていう風な感じで、注目されてきたんですけど。すごい反響を呼びました。カラオケにもなったんです。その歌が。youtube・・・youtubeでもすごい4万回以上再生されたのかな。で、色んな賞をいただいたんです。学生の。 で、いつも夏休みはみんなでね、千葉のアルバイトに行ってたんですね。本当に見た目のヤンキーだらけの9人で、3年生のときいって、大変やったみたいで、結局、その中から謹慎者が続出になって、一番大きな行事で、自分もその舞台にたって、先輩とラップを教えてくれた先輩と文化祭でね、北星祭っていうので歌うって意気込んでたんだけども、その時に飲んでた飲酒事件が発覚して、出れなかったんです。そこからね、生徒会のメンバーと、本当に長い時間の話し合いが始まって、自分がなぜ悪かったかとか、こんだけ俺のことを話し合ってるとか、正直に言ってくれたっていうことを知ってから、本当に北海道の余市の高校が大好きになったみたいです。  

−すごい、良い仲間と巡り会えたんですね。  

はい。だけど、ビアン君のお母さんやから、ちゃんとしないとっていうのが、またあって。いろんな教育相談会とか合同説明会でも、うちの子は生徒会をしてましたっていう話をするんやけどね、ビアンは大学になんとか奨学金何で行けるって話もあったんですけど、何を勉強したらいいかわからへんて言って、結局、北海道の学校を卒業してから、全国一周ヒッチハイクの旅に出たんですよ。沖縄までずっと何ヶ月かをかけてね。こわくないんかな?と思うけどもでも自分が思ったことをする子なんで、私はまだ悩んでました。  

−何に悩んでたんですか?

就職をちゃんとしてないから・・・。映像の仕事、テレビ局の仕事も来てたのに断って、本当にしたい仕事がないとかなんやかんや言って、私の思った通りにならないんですよ。北海道に行かせた時に、それまで疲れてたから、自分の売上や成績も下がってたし、代理店をしているが故、子供がいい子じゃないといけないっていうことを、ずっと叩き込まれてたから、すごく責任を感じて辞めないといけないのかなーとか、いろんなこと思ったんです。今も続けてられてはいるんですけどね。やっぱり二つの家をその収入だけでは賄えなくって、夜もバイト行ってたんです。その3年間。それなのに、彼は好きにして就職もしない・・・それでねー、胃潰瘍になって、またパニックみたいになって、過呼吸で入院をしました。それからしばらく経って、北海道で出来たママ友に相談の電話してたら、お姉さんに聞いてみたらって。マヤって知ってる?って言われたんですよ。  

−このタイミングで初めてマヤ暦と出会ったんですね?  

そうです。初めてマヤ暦と出会ったのは白の8年目です。絶対人生が楽になるから、ゆうこちゃん習いなって、そのお姉さんに言われて。絶対楽しくなるし、楽になるって。知ってたらいいって。 だけど、お金かかるしな〜。って、思ったんですよ。自分の趣味にお金を使っていいのか?とかね。そもそも私の周りでマヤ暦なんて聞いたことなかったんですよ。でも神戸まで来る言うてくれて。その年の4月に3日連続習いました。  

−習ってみてどうでしたか?  

習いながら、色んな人を調べながら、面白いな〜と思って受けてたら、アドバンスっていうのがあるから受けてみなって。私は、そこまで考えてないねんけどなーと思ったけども、一人のお客さんにそのこと相談したら、「頑張り!やってみ!!」って言われて。じゃあ受けようかって思って。携帯電話で習いました。すごく丁寧に教えていただいて、それぐらいからもっと調べようと思っていろんな人を調べるように試験前ぐらいに仕事仲間の代理店さん達に「来月マヤ暦の試験を受けんねん」っていう話をしたんです。そしたら見てみてって言われて、いいよ、分かるとこまでやったらって見たら面白い〜って仲間内で盛り上がりました。  

−すごいですね!その後、息子さんはどうなったんですか?  

その時はね、息子はお金貯めてね、ワーキングホリデーでカナダのバンクーバー行くことにしてて、カナダに行く前に私マヤ始めてて、宗教ちゃうんか?とか心配してきてね、まあ、いろいろなんですよ。  

−海外?!行動力が本当にすごいですね!心配もしてくれて優しい息子さんですね。 

そうなんです。心配されてた時に1人ちょうどカナダ行く前に同じ仕事場の後輩を連れてきたことがあって、その子も海外のどこかに留学するって言ってたんですけど、「今マヤ暦っていうのを、勉強してるんだけど見よか?」って言ってやってあげたら、「初めて俺のこと理解してくれた〜!」って、ビアンママが初めて俺のこと理解してくれた。ありがとうって言ってた。「これで勇気持って、留学に行ける」って言ったの。私は書いたこと言うただけやでって言うて。 そこからちょっとずつ息子も認めだしたんかな。アドバイザー試験の合格を報告したら、すごいやんおめでとうっ!て言ってくれたんですよ。試験に合格したら教えてねっていう人が仕事の仲間がいて、そこからみんなが面白がったり、みんな楽しかったらいいなぁとかそんなことを感じながら、アウトプットしていきました。  

−すぐに実践されていて素敵です。息子さんとの関係って、どのぐらいから改善されたんですか?  

あ〜。実は、本当に私が息子に対しての執着を捨てれたのは最近なんですよ。今、白の11年目なんですけど、本物が見えますね。最初は物が壊れたりとか、なんかそういうアドバイザーを目指す人が途中で止めたりとかっていうことが続いたときに、自分と他者は違うっていうことを私に教えてくれてんのかなって。物を大切にしろっていうことを教えてくれてんのかなとか、色んな事を感じてたんですけど、そんな時に息子が結婚することになって・・・(喜)

−えー、すごーい!おめでとうございます!!  

いや~それがね、彼女が”さちこ”っていうんですけど、どうしても小林さちこになりたくないっていうことで、それで息子が向こうの姓になることになったんです。そこで初めて、私、子供から卒業していいんかなーって思いました。ずっととらわれてた20歳の頃からの罪悪感とか色んなものを捨てるって言うのかな?もう開放させていいのかなって実感しました。すべて受け入れて愛し許す。年回りでもそんなタイミングに入っているから、すごく腑に落ちます。  

―良いですね。息子さんとの関係が変わったのはなぜだと思いますか?  

私は息子の学校のつながりでマヤに出会ったんですけど、私自身が夢中になっていく姿を見せたからかな?アホみたいに笑って講座してるそんな姿を見て文句を言わなくなったかな。それとよく私が彼を認められるようになったのは、ミラクル子育て講座を受けたからです。そこで初めて気づいたけど、私、ごめんねとかね、あんまり言ったことなかったんですよ。息子に。1回目としては彼が北海道卒業した時に、そのまま全国にヒッチハイクで出るって言ったから、やっぱり卒業式の時は答辞を読んでそこでもラップを歌ったけど、そのぶんも何かの賞とったんです。本当によく頑張ったと思ったんです。帰りのバス停でちょっとハグして、ありがとうなって言って帰ったんかな?2回目はしばらく何年か経ってからですよ。ありがとう、おやすみって言えたことです。

―それまで言えなかったんですか?

そんなん、よう言わんかった。ちょっとしたありがとうは沢山言いますけど、今日もありがとう。おやすみとかね。今日もありがとうなんて言わなかった。照れくさかったんかな?でも少しずつお互いを認め合え始めました。本当にちょっとずつなんですけどね。振り返ると10年かかったかなと思ってます。  

−長い・・・よく頑張りましたね!少しでも早く良好になるためになんかできそうなことってなんだと思いますか?  

自分を知り、相手を認めるって事ですよね。自分の思った通りにならないし、ならんもんやと思った方がいいなと思いました。私ね、思春期の子を持つ親たちのおしゃべり会っていうのを7年間やってるんです。(仲間と北星の親たちと) そうするとやっぱりね、見張り過ぎの親は多いなと思いました。私も含めね。もう見守るっていうより、見張ってんねんね。子供がなんか違うことしないかとか?誰と遊んでんのかなとか。だから見守る親という木そのもので。高い木の上から見守る事が大切なんですよね。マヤ暦を学んで思うのは、子供の方が魂は上やなって。見透かされてるのは親だなって思います。彼の特性をキンナンバーで知り、そのいいところを知り、今となっては、俺の番号の有名人って誰なん?って聞くから。子供から言われたことにだけ答えるようにしています。それも変わりましたね。  

−見守りか見張りかって意外と気づいてないことが多そうです。  

そうでしょ。わざわざ言うんですよ、親って。親やから言っとかなあかんってね。 (今はもうそんなこと言ってないけどね笑) 親やから、これだけは言っとかなあかんなと思って言った後、息子が、自分の部屋で物を投げて、どうやらこうやらって暴れてるから。言った分、壁に穴は増えるから、おかえりとご飯あるよとおやすみだけ。あとは本人が喋りたいように。実際ね、喋りたい時しか、しゃべってこないんですよ。  

−なるほど。ここまでを振り返ってご自身が変わったなぁと感じるところはどこですか??  

一番は、幸せを感じれる。  

−すごい。なぜ、そう思うのですか?  

なんか自分はこれでいいんやって。マヤ暦をしだした頃は、私はまた誰かをコントロールしようとしてる。あー・・・。って、反省することもありました。特性上、コントロールと想定志向で起こってもないことをいっぱい考えて、あー、また私こんな思ってるって思って、最初はそれを嫌だなーって思ってたんです。自分(kin25)ってイヤやなって。でもね、これって愛おしいんちゃうかな?と思い出して。まだ起きてへんこと色々考えるなら、いいことだけを考えてたらいいんやん!って。そうなったらいいようなるやろ!!って。考え方が変わりましたね。 でもね、一つだけ難しかったのがあるんです。 “やるだけやって、あとは天にお任せ“それが、なかなかできなかったんですよ。でもね、天に任せるっていうことを、叩き込まれたのは白の11年目でした。そこで初めて自分を許せたっていうこともあるしね。これまでオールオッケーなんやって。とんでもないね、地獄の時代もあったし、子供を手放したって罪の意識もあったし、離婚したっていう罪。色んなときに子供にさみしい思いさしたとかね。でもそれをずっと思ってても、何も改善しないなと思って。そこに気づけたのはマヤ暦で、これまでを振り返ってみたら、この過程の全てが必要やってんなって、私にとってはね。もっと早くマヤ暦知ってたら良かったんだろうけど、私にはいっぱい、いっぱいそれまでの痛みがね、必要やったんで。  

―オールオッケーと言える人生って幸せだと思います。どんな方がマヤ暦を知ると良いと思いますか?  

やっぱり私みたいに自己肯定感低い人とかかな。20歳からダメダメできたじゃないですか。父親のことも恨んでたんですよ。子供を連れて行ったっていうことでね。自分が悪いのにね。でも今年父の体調が悪くなって、本当に可愛がって育ててくれたっていうことがよくよく分かったんです。50になっても、駅まで迎えに来るような父なんで。  

−優しいお父様ですね。  

でも父の体調が悪くなって、父はお墓とかそういうことにもこだわってたんやけども、息子の名前が変わるってことを、最初は酷く反対してたけども、自分の体がしんどくなって、それに精一杯でね。手放してくれたんです。だから父のこともすごく許せましたし。それはマヤ知ったからかなって思うんです。誰かを許せないと思ってる人もマヤ暦はおすすめですね。

 −なるほど。マヤ暦を知ると何が良いと感じていますか?  

やっぱり、なぜ私にこういう出来事が起こるのか、こんな人が接してきてるのか、その深い所までわかるというか。それを紐解いていけるというか、年々だけどね。だからもっとこれから分かるんだろうなっていうことに私はワクワクするんです。  

−この自己肯定感低い人とか、誰か許せないとか、子育て中の人はどういう解決策がありますか?

私が思うのは、子育て講座を学ぶことがおすすめかな。自分と自分以外の人の違いが絶妙にわかるから子育て講座は親の育て方の癖っていうのが本当に分かり易いじゃないですか。親である自分が自分を知ることを深めていくと問題解決していくんだと思いますよ。あとは、マヤを知ると本当に楽になりますよね。相手の良いところと自分を知れるから。そこを知ることで、ちょっとずつ違いを認められるようになるから、そうやなーってマヤ暦を知って周りの愛情を素直に感じられました。だから、マヤ暦でご自身を感じることで解決に近づいてほしいです。  

―マヤ暦の良いところを簡潔にいうとなんですか?  

マヤ暦は

①自分を知れる。
②相手も知れる
③仕事にも役立つ
④メンバーのことも知れる
⑤オールオッケーの人生と思える。


全てに役立つんじゃないかなと思ってね。率直に。  

−すごい。言い切れるって心強いですね。最後にメッセージをお願いします。  

泥臭い人生なんです、私の人生。でも、その人生っていうのは素晴らしく輝いてるん違うかなって今は自信を持って言えます。 過去の話ですが、息子の悩みを抱え、一緒に死のうと息子に言ったこともありました。小さな頃は、生きて帰ってくれさえすれば良かったのに、学校に行きだしたら次を求め、学校を楽しんでほしい。休まないで行って欲しい。高校を卒業できるようなら大学に行って欲しいと・・・。それは欲深すぎると息子に教えてもらいました。子供に教えられる事は多々ありますが、マヤ暦を知り、学びを深めることによって、全てがオールOKになって今までの人生、全部よかったんやと私は思ってるんです。だから、私が関わることで何かできるのであれば、マヤ暦であなたらしく輝いてほしいなと思います。とにかく一緒にマヤやろうっていうことです。子育てで悩んでる人とか、自分をより高めたい人、自分で幸せになりたい人、宗教とかそういうものに頼らず、自分で自分を幸せにしたい人、色々な人がいると思うけど、全ては自分次第やなと自分を振り返って思います。これからを生きる思考に変えたい!人生が変わるくらいの変化を起こしたい方は、ぜひご連絡くださいね 

−ここまでお読みいただきありがとうございました。
 
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