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「自分の紋章がピンときません」からマヤ暦の生き方に変わるまで
自分の紋章通りに生きていなかった。
今の松下さんを見ると、キラキラ、オーラがすごくて、会うと元気になる、「青い手 黄色い太陽」ぴったりの生き方をしているように感じられます。
マヤ暦に初めて触れた時、「自分は紋章と違う」と思いつつも、スタートアップベーシック講座を受講し、アドバイザーになって、自分の生き方に納得して生きるようになるまでの波乱万丈な人生について語っていただきました。
「紋章がピンとこない」
そう思った人にぜひ読んでいただきたいです。

マヤ暦に出合う前の私~自分で決めた人生設計通りのはずなのにそうじゃなかった?~

―松下さんがこれまでどんな経験や体験をされてきたのか教えてください
はい。小さい頃から保育園の先生や幼稚園の先生になりたいと思っていました。
でも、私たちの時代は、女性は上の学校まで行かないで社会に出て家にお金を入れろ、みたいな時代で、私はそれは絶対嫌だと思っていました。
だから中学校を卒業したらすぐに幼稚園の先生とかになれる方法はないだろうかって探しましたね。
だけどそんな方法はなかったし、先生にも高校に行けと言われたので高校に仕方なく行くことにしました。
高校に行くにあたって、今まで勉強してきた普通の勉強は嫌だったんです。
そうしたら、家政科っていう面白いものがあると発見して、科目を見たら食物科とか保育科だとか被服科だとか書いてあって、
「あ、これはいずれ結婚する時の修行になるな」 ということと、 保育の道に進むのに一歩近づくと思ったので家政科を選びました。

高校卒業してからは大学にも行きたかったんだけど、親が反対をしていたので、働きながら行ける短大を探しました。
そうして、企業から学費を出してもらう代わりにその企業で昼間に働き、夜に短大に通うという生活を3年間やって無事卒業できたんです。
短大はとても楽しかったです。
私のうちは貧しかったのでピアノなんて弾いたことなかったですね。
でも幼稚園の先生になるためにはピアノが必要だったので、大学では紙で書いた鍵盤で練習をしたり、寮生活で洗濯やお風呂の合間に、寮にある電子ピアノで練習したり、試験の時には廊下の電気の下で勉強したり。
でもそういったのも全然苦に思わなかったです。
幼稚園の先生になりたかったから。


―すごいですね
そうなんです。
人間って目標を持つと、その間のやってることって全然苦にならないんだなっていうのをその時に経験したんだと思います。

実は私、小さい頃から自分の人生設計をしていて、 高校と大学を卒業して、そこで4、5年働いて25、6で結婚して、子供は30歳までに3人産むって決めてたんです。
そうしたら、その通りになったんですけど、3人子どもを産んで自分の家庭を振り返った時に、この人といて楽しいかなと思った時に、いや楽しくないと思って離婚しました。
その子ども3人を一人で頑張って育ててきました。
3人の子どものうち2人は障がいを持っていまして、それを知った時、

なんで私がそんな子どもを授からなきゃいけないの?
真面目にいっぱい頑張ってきて、お酒も飲まないし、タバコも吸わないし、悪いこともしてないのになんで?


ってすごい悩んだこともありました。
だけど学校に行った時に、子どもの学校の父兄の方が
「文枝さん、障がいを持った子は天使なの。
 天使があなたを選んで、あなたの元にきてくれたの。
 だから、あなたしか育てられないの」
って言われた時に 「えー!!!」 って、それでもすぐには信じられなかったけれど、

そうかって私しか育てられない子だったら 私が頑張って育てるしかないんだなー

って受け入れることができました。

―いいママですね
いやいやいや。
子どもが3人欲しいって思ったわけだし、3人授かったけれど、なんか普通とは違う形で来るってことは私が学ばないといけないことがあるのかなーって今は思えています。
地位だ、名誉だ、財産だ、じゃないけれど、やっぱりそういう時代に生きて、習慣づけられてきてるのでそういうものだと思ってましたね。
だから自分に与えられたものは自分が責任持って育てていこうって。
私には2人の助さんと格さんみたいに障がい者がいるんだと思いましたね。
だからやっぱり私は10ヶ月お腹に入れて子どもを健常に生んだつもりだった。
五体満足には生んだけど、知的な障がいがあったっていうだけなんですけど。
やっぱりこの子たちを守らないといけないっていうのが先に立ちました。
だから上の子はちゃんと自分の能力に合ったところで、楽しく生きていけれるように障がい者のための職業安定所に行って仕事を探しました。
下の子も、健常者の中で育てるということが大切だと思ったので、その子の通ってる学校に行って、先生方にこの子がちゃんと学校生活を送れるように話をしたりして、サポート体制を整えてもらうようにしました。
お蔭様で友達にも恵まれたので、気持ちの優しいいい子に2人とも育ちました。

そこでやっぱりマヤ暦を学んだ時に、学ばされることが多いなっていうことを感じました。  

 

マヤ暦を知ったきっかけ~人の紋章は腑に落ちたけれど、自分の紋章はピンとこなかった~

―そうだったんですね。マヤ暦を知ったのはどのタイミングなんですか
マヤ暦を知った時、私は幼稚園の先生を辞めて、販売の仕事をしていたんです。
素晴らしい商品だからたくさんの方に伝えていきたいと思ってやってたんですけれど、チームの中でなかなか自分と同じように伝えられない方がいて。
そんな時にチームの中にマヤ暦を学んでる方がいらっしゃって、その方にみんなの紋章を調べてもらったんですね。
そうしたら、人の紋章をみて、
こういう特徴があるよ、だからこの人にはこういう風に声をかけてあげた方がいいんだな、
とか、
この人にはこういう特徴があるからこういう言動になるのね、 なるほど、
と思っていました。
でも、実はこの時自分の紋章も知ったんですけれど、全然ピンときませんでした
K47で青い手、黄色い太陽と言われてもなんだろう?って思っていました。  

 

マヤ暦を学び始めてから~青い手の紋章を受け入れられるように~

―ご自身の紋章には納得いっていなかったけれど、その後今まで勉強してきたのはどうしてなのでしょうか
マヤ暦で紋章をきいて、ダイアリーを使ってみたいと思って、今のシニアアドバイザーを紹介していただき、スタートアップベーシック講座を受けてみたんですね。
スタートアップベーシック講座を受けても、なかなかピンとこなかったんですけれど、ある日「鏡の向こう」について学んだ時に、

「私の鏡の向こう(K214 白い魔法使い赤い月音6)の特徴が今の私の特徴だ」

って思っちゃったんです。  
私は鏡の向こうの紋章の特徴で生きてきたんだって。
だから、人生設計で決めた通りにに生きてきたんですよね。
それは、赤い月があったからかなとか。
白い魔法使いがあるから、自分は100%頑張っているから、人が70%しかやらないことが許せないって思っていたりするのかなと。
音6はマイペースだよね。
そうそう、私マイペースで自分の目標に向かってずっとやってきて、それを達成してきてるんだけどなんか心が満たされてなくて
きっと何かあるなーって思ってたんですね。

だから本当の紋章は青い手と黄色い太陽よって言われた時に、紋章通りの生き方ではないからピンとこなくて、じゃあこの紋章ってどんな紋章なのかをやっぱり調べて勉強してみようって初めてその時思いました。  

―そこからどのぐらいの期間をかけて学ばれたんですか
すごく早かったですよ。
2018年の2月22日からお勉強し始めて、そのシニアさんが、はい次ね、はい次ね、はい次ね、ていう形で進めてくれたので、その年の9月24日に試験を受けて、10月25日に合格をいただいてだから、11月に認定証をもらいました。
何か言われるがままにやってきた感じでね。
それでももっと知りたいと思ったから、アドバイザーになってからもいろんなシニアさんに学びに行きました。
北海道の岡本美穂さんや沖縄の島袋みづえさん、福岡の夏村ひとみさん、そして佐賀にいる3人のシニアさんにはもうほんとお世話になりました。
そこの中で少しずつ自分の青い手の紋章のこととかわかってきました。

私は青い手の紋章なんていらないと思っていました。
だって「体験・経験することが宝」って言われても宝って思えなかったから。
そんな嫌な思いとか悲しい思いとか、苦しい思いとかしたくないって思ってました。
だけど越川先生の講座を受けたり、いろんな方のお勉強会に何度も何度も参加したりとかしているうちに、 自分で決めて持ってきた紋章なんだから、体験・経験をすることは宝になっていく。
それは人を癒すための力になる って言われた時に初めて腑に落ちました。
私は目の前にいる人を明るく元気にしていきたいし、 自立させてあげたいし、 それをすることが世界平和になるって。
これを私は自分の理念としてずっと来たのに青い手が嫌だなんて言ってる私が馬鹿だねと思いました。

いろんな体験したよねってね。
自己破産もしたよねって。
人にいっぱい裏切られたよね。

なんで私だけって思ったけど、これは人を癒す時にお役に立つ体験・経験をしたんだなって初めてそこで知りました。
そう思った時に

さあ何でもいらっしゃい
青い手が何でも体験してあげるから


って開き直れた自分がいました。  

 

マヤ暦をおすすめしたい人~何をしたら分からない人へ~

―どんな人がマヤ暦に触れるといいなと思いますか
私は全員マヤ暦を知るといいなって思うんですけど、

今自分がどう生きていいかわからない人、
でも変わりたいどうやって変わったらいいかわからない
自分が何をしたいかわからない、
何か仕事をしたいんだけど何が向いてるのかわからない
あまりにも情報が多すぎて自分の中がパニックになっている人


そういう人に受けてほしいです。  

―この方が松下さんと出会うとどうなりますか
そりゃあ変わってキラキラになりますよ。
この前、初めて会った人にこんなこと言われたんですよ。

「私松下さんにマヤ暦を学びたい」

って。
なんか私のオーラはとても大きいらしいです。
心強いってよく言われます。
きっとね、私のところに来たら、みんなキラキラするってもう信じてます  

―松下さんにとってマヤ暦は何ですか
私の今までの生き方よりも本当はこの紋章で生きるのがあなたよって教えてくれたものですね。
だから、あなたの紋章はこれよって言ってるのにその通りに生きてない人って 多分反対の紋章か何かで生きてる人だと思うんですよね。
そして、自分の紋章や音を否定する人って必ず生活していく中でどこかでぶつかってるはずなんですよ。
だけど本当の自分はこれっていうのが分かった時に、そこに意識を向けていくので軌道修正ができてきてくるんだろうなと思います。

だから知らないより知ってる方が軌道修正できるよねっていうのがマヤ暦かなと思いますね。  

 

みなさんへのメッセージ

世の中はシンプル。
いっぱい考えなくても大丈夫。
マヤ暦というアイテムを知るとシンプルに生きられます。
シンプルになると自分らしく生きられます。
その術を教えてくれるのがマヤ暦だから、一緒に学びましょう。
どんなにいいものを学んだとしても結局は人との出会いだと思うんですね。
そうすると、どんな人やものに出会えるかっていうのはやっぱり自分自身を磨いて自分自身の波動を上げとかないと。
その波動に合った人しか寄ってこないので自分の波動を上げるためにも、マヤ暦をアイテムとして使っていくといいと思います。

ありがとうございました。
このストーリーのアドバイザー
松下 文枝
スーパーアドバイザー
松下 文枝

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