小森 直子
(コモリ ナオコ)

K215
 青い鷲
 赤い月
 音7
小森 直子

小森 直子(コモリ ナオコ)

K215
 青い鷲
 赤い月
 音7
スーパーアドバイザー

【開催可能な講座】

スタートアップ(1)
/ スタートアップ(2)
/ ベーシック(1)
/ ベーシック(2)
/ 子育て講座
/ ダイアリー講座
/ かけはし講座
/ Face up to講座(1)
/ Face up to講座(2)
/ マヤの暦とモンテッソーリメソッド Part①
/ マヤの暦とモンテッソーリメソッドPart②
/ シンクロニシティ研究会の考えと3つの柱

【対面講座・セッション可能地域】

岐阜県 / 愛知県 / オンライン可
オンラインでしたら全国どちらの方も対応させていただきます。

プロフィール

岐阜県在住。夫と義母と3人で暮らしています。

2020年11月末、
自分らしく自分の志事を本格的に始動するために、
17年勤めた結婚創造企業を退職し、会社員生活にピリオドを打つ決意をしました。

今は関わる皆さんから、「マヤ姉さん」の愛称で呼ばれ
マヤ暦と共にある、感謝の日々を送っています。

そこに至るまでには長い苦悩がありました。


【教職時代】

大学を卒業後、小さい頃から決めていた幼稚園の先生になり、13年間勤務しました。
「教職は天職だ」と信じて疑うことなく、26歳で結婚、30歳で出産、
育児休暇を経て、復帰した後も5年間勤めました。
子どもたちと関わることは、私の元気の源であり、 子どもの成長や変化から、たくさんの学びと感動をいただきました。
そして保護者と関わる中で、教育の大切さを伝え、共感し合うことがやりがいになっていました。

そんな私は、一生幼稚園の先生を全うすると思い込んでいましたが、
教育現場に起こったトラブルから思わぬ転機が訪れ、園を退職することになってしまいました。
まさか自分が教職を辞める決断をするとは・・・
それでも、35歳の私は人生の岐路に立ち、大きな選択と決断をしました。

自ら退職を希望したものの、辞めた後は、凧の糸が切れたような喪失感がありました。
そして同時に、先生という立場の責任やプレッシャーからの解放感を感じていたのも事実です。
天職だと思っていた教職をやめて、当然どこかに未練を残しつつ、
一体自分は何がやりたいのか・・・地に足が着かないようなスッキリしない毎日。

自分探しの悶々とした日々が始まったような感じです。


 【自分探しの時代】 

家庭や子育てをおざなりにして、大学で教育を学び直したり
(正しくは資格を取りなおしていたのですが)、
並行して収入を得るため、結婚相談企業に勤め、その傍ら様々な勉強を始めていました。
カラーセラピー、言霊(ことだま)、四柱推命、九星気学、姓名判断、風水・・等々。
どれも自ら探し選んだというより、人のご縁でやって来るものばかり。
次々に学びながら、今の自分に必要な何か、答えを見つけようとしていたのかもしれません。

根底に、『自分は何者なのか、何をすべき使命や役割があるのか』
わからず彷徨っていたからこそ、何かを掴みたいと求めていた姿だっただろうと今は思います。

そんな中、一人息子が高校生の時に大きな壁にぶち当たりました。
素行が悪く、1年の海外留学を中途で強制帰国、2年生で高校を中退するという事態に・・。
たった一人の子どもですら、まともに育てられなかったのか・・・自分が情けなく、
教育者として何が間違っていたのか?と自分を責めたり、
どうしてこんな思いをさせられるのか?と悩む日々でした。
その頃は、家庭から自己逃避していた時期でした。


【出会い】

そんな頃に出会ったのが【マヤ暦】です。
友人から初めてその名を聞いた日の帰宅後、手元にあったカルチャーの講座案内に
『マヤ暦講座開講』の文字が・・・!!
今なら「わぁーシンクロ~!」と叫んでいますね。

そして、その日時が偶然にも空いていて、「行ける!」となったことも、
準備され、誘導されていたということでしょう。

またさらに、講座で出会った先生がなんと私の『絶対反対キン』だったことは
後になって、自分の人生のリセット・再スタートの暗示だったのだなとわかりました。

マヤのツォルキン暦で見る自分や息子、家族の関係性、役割や使命など、
学べば学ぶほど、合点がいくことばかりで納得できました。
また、起こっていることには全て意味があったのだと腑に落ちました。

そうして2016年12月、私は『マヤ暦アドバイザー』の資格を取得しました。



【自分らしく生きる】  

自分は何者かを探し求めてきた私が、『本来の自分を知ること』に至り、
すべての出来事は意味があり準備されていたことだとわかりました。
すべてが点と点で繋がって線になり、輪になった・・・そして今があることを実感し始めたのです。  

そこから、「自分として」生き始める スタートラインに立ったと言えます。

マヤ暦は人生の羅針盤であり、生き方・あり方を学ぶ「知恵・叡智」としてお伝えし、
自分のことや、関わる人のご縁、起こることの意味など、
なかなか気づかない自分自身の深い部分の理解が進むように、読み解きお伝えする役目を担っています。

会社員時代も、マヤ暦を活用して、職場での人間関係を円滑にしたり
結婚相談という仕事柄に生かしたりしてきましたが、
もっと拘束のない自由な環境で、自分らしく、やりたいことをやっていきたい・・・
52歳を過ぎた頃から、そういう思いが強くなり、心の準備をして今に至ったわけです。


世の中には、もっともっと波乱な人生があることを、たくさんの人との出会いから知りました。
今だからわかりますが、自分自身が大げさに感じていた苦悩は、実は全然大したことではなく、
むしろ自分は恵まれ過ぎた人生だったとさえ思えます。

息子に対する悩みも、私が息子の人生に勝手に介入し、自分で勝手に創り上げたものにすぎませんでした。
何故なら、私が子どもへの執着を手放した後、息子はパートナーと出会い、温かい家庭を持ち、
可愛い子どもにも恵まれ、20代半ばですが父親としても社会人としても、立派に独立しているからです。

世の中には、私と同じように、自分のことがわからなくて自分探しをしていたり
思い込みによって人生を生きづらくしている人が大勢いると思います。
私が長年身に着けていた「ねばならない」という『思い込み』も・・・外してしまえばなんと軽やかなこと!!
マヤ暦を知って、人生を生きるのがとても楽になりました。

思い込みの重い鎧を着て身動きがとれずに、不満や不安でいっぱいの人を、
少しでも楽にしてあげたい・・・
愛すべき皆様に寄り添いながら、気づきの場を提供していきたいと思っています。

それが私の使命であり、人に気づきや感動、癒しや安心感を与えるお役目でもあると思っています。

そして、まず『自分を知る』ことの大切さ、その人の本質を知るお手伝いすることで、
自分が本来向かう人生の目的や方向がわかり、
より楽しい人生を豊かに生きることができることを、
お伝えしていきたいと考えています。

リンク